本論文は1968年2月20日に起きた金嬉老事件と同事件に積極的にコミットメントした<文化人>グループと金嬉老公判対策委員会の役割について、分析を試みた。特に、事件の初期段階から説得と特別弁護人として同事件の最後まで関わった在日朝鮮人作家の金達寿を中心に、同委員会の役割と問題点、そして同事件をめぐる在日朝鮮人の自己表象と他者表象についても考察した。 その結果、金達寿は<文化人>グループ及び同委員会にあくまでも「オブザーバー(観察者)」として参加すると言いながらも、委員会内部の金嬉老に対する認識と同委員会が発行している機関誌の方向性についても、深く介入していたことが分かる。そして、金達寿の「オブザーバー」というポジションは、同じ在日朝鮮人が「告発者」としての金嬉老を弁護する時に発生する複雑な問題を認識していたにもかかわらず、結果的には事件に対する在日朝鮮人自らの自己批判無しに主体の構築だけを強調したあまり、結果的は主体の喪失に繋がったとも言える。 また、韓国の金嬉老関連の外交文書を見てみると、韓国の政府は対外的には同事件に干渉しないことを強調しているものの、金達寿と同委員会を反共と左翼で分類し検閲していた。それだけはなく、金達寿の場合は在日朝鮮人の特殊性を考慮することなく、韓国領事を通じて金嬉老との接触をも遮断しようとしたことが分かる。
This study tried to analyze the Kim Hui-ro Affair that took place on 20 Feb. 1968, the “Cultured Men” group that made a positive commitment to the affair, and the role of the Kim Hui-ro Trial Task Force. Particularly, focused on Korean-Japanese writer Kim Dal-su, who was deeply involved in the trial to the end from the early stage of the affair in the capacity of the persuasion and special counsel, this study investigated the role and problems of the Kim Hui-ro Trial Task Force, self-representation of the Korean-Japanese and representation of the other of the Japanese resulted from the Kim Hui-ro Affair as well.